瓜田吉寿は有名なヤクザだけど、彼の息子はなんと瓜田純士。その事実にびっくりしてる人は多いよね。
って事で、今回は瓜田吉寿の現在について語らせてもらう。

瓜田吉寿(遠藤吉寿)は組を脱退していた。現在は何をしているのか。
瓜田吉寿(よしひさ)はブラックエンペラーの2代目総長だった。それは知ってるよね?あの有名な暴走族の頭を務めてたんだから、その時代ではかなり有名だっただろう。あの宇梶剛士ですらトップじゃなかったんだからね。
瓜田吉寿はブラックエンペラーで活動後、ヤクザに所属した。そしてその組がどこの組だか調べてみたんだけど、明確な情報は無い。そりゃそうよね。そんな情報が出て来たら色々と問題だし、この情報を知ってる人と言えば、側近の人間ぐらい。だから私には分からなかった。ごめんね役立たずで。
でも、息子の瓜田純士が所属してた組と対立していたことが分かってるから、多分山口組系だと思うんだよね。瓜田純士が入っていた組は『極東会桜成会長谷川組』だと言われていたから、対立してた組を探ってみたの。
すると、極東会と五代目山口組三代目山健組が対立していた事が分かった。
かつては博徒とテキヤは区別されていたが、シノギの多様化により両者の区別はあいまいとなっていった。
特に極東会は都市型の利権をシノギにしている者が多く、博徒系組織とシノギでバッティングする可能性は高かった。抗争のきっかけは賭けマージャンでの貸し借りのもつれであるが、その背後には組織的なシノギの対立があったと思われる。
博打で対立してしまったという事ね。しかし、息子が所属する組と対立してただなんて、辛い話。。。
そして瓜田吉寿は現在ヤクザの組を脱退してる。それは息子が言っていたから間違いないわ。どうやら2014年辺りに辞めたみたいね。瓜田純士の誕生日は1979年12月4日だから、かなり長い間ヤクザをしていたという事になる。だって息子が生まれた時には既にヤクザをしていたみたいだからね。
組を脱退してから何をしてるのかまでは分からなかったけど、もしかしたら純士のYouTubeに出演するかもしれないよね。可能性は0.1%だけど。笑
...瓜田吉寿は長い間ヤクザをしていたから、かなり偉いさんの地位を築いていたと息子は言っている。だから息子に何かあった時には陰で助けてたみたいね。
息子の瓜田純士がヤクザになったキッカケは瓜田吉寿(遠藤吉寿)に認められるため。
瓜田純士がヤクザになったのは、父親に認めてもらう為だったの。だから17歳で極道の世界に足を踏み入れた。その時には既に両親は離婚してたから、もしかしたら純士は父親に会いたいという思いもあったのかもしれないわよね。
その想いもあって?か、純士がヤクザになってから約1年後に歌舞伎町でバッタリ遭遇したらしい。計算すると純士が18歳か19歳の頃になるんだけど、その晩に父親と盃を交わしたみたい。そして偶に会うようになったんだとか。
純士曰く、別のヤクザ組織なのに”しのぎ”について語っていたんだって。そんな事もあるのね。苦笑
...瓜田吉寿は芸能界にも名を轟かせていて、あの『綾小路翔』が知ってるぐらい。
恐縮です。オマージュ元を言及される事が実は少ないので、とても嬉しいです。RT @FamesJp 翔さんにほめられるとは、本当に感激です!瓜田吉寿さんの『俺たちには土曜しかない』も古本屋を探して見つけました。「俺たちには土曜日しかない」もスゴイ好きな曲だったので、これも驚きでした。
— 綾小路 翔 (@ShowAyanocozey) August 21, 2014
綾小路翔が発信してるように、瓜田吉寿は本を出版してる。そして邦画にも出演してる。流石ブラックエンペラーの2代目総長よね。
久々にゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPERORでも見ながら寝落ちするかhttps://t.co/grjVroRyRW
— ryo hinoue (@RhPop) August 7, 2020
この邦画がどんな内容なのか気になる人が居るだろうから、内容についてチェックしてみた。
土曜日の夜、数百台のオートバイと乗用車で、腸をえぐるような爆音を、恐怖と驚愕に包み込んで東京の街を疾走する暴走族「ブラックエンペラー」。
学校へ行かず、仕事もしない少年達の日常は、友達を求め、スピードとスリルを求め、ソウルダンスを求め、そして小さな夢を素晴らしく充たしてくれるシンナー遊びの連続。少年達のリーダーが言う。「暴走族もまともにつとまらない奴は社会に出れねえ…」
この映画をちょっとだけ見てみたんだけど、瓜田吉寿と純士が似すぎなの。流石親子って感じだった。言われなくても分かるぐらいだからね。笑 気になる人は見てみたらいいんじゃないかしら?
瓜田純士は瓜田吉寿に向けて曲を作っていた。
瓜田吉寿はブラックエンペラーからヤクザになり、そして息子を生んだ。そんな息子も父親を追ってかヤクザになった。純士が幼少期には色々な想い出があるのかと思いきや、母親を泣かせてみたい。その理由は、吉寿が浮気をしていたから。
ヤクザをしている事もあって、吉寿は年に一回ぐらいしか帰ってこなかったと純士は語っている。そんなわけで、吉寿は純士を置いて離婚してしまったらしい。
でも、純士がヤクザになり、歌舞伎町でバッタリ会い、そして盃を交わすようになってからは助けられることも多かったらしく、純士は感謝しているようね。
...2013年に純士は事件に巻き込まれたんだけど、知ってる?(詳細は分かっていないけど)
「千葉市美浜区の駐車場で6、7人が殴り合いのケンカ。首を切られた千葉市の男性(36)と、腹を刺された東京都新宿区の男性(33)が重傷、豊島区の男性(27)が尻を切られ軽傷」
この事件後、純士は重傷を負ったんだけど、吉寿は純士を助けるために病院へ行ったりと、サポートしてくれたみたいね。やっぱり自分の子供だから、気になってたんだろう。
純士はそんな父親に向けて、曲を作った。その曲名は『TO FATHER』。いかにもって感じの曲名よね。
うん、とってもいい曲じゃない。意外にも良い声出すんだね!
瓜田吉寿(遠藤吉寿)には弟がいたが現在亡くなっている。
あまり多くの情報は無いけど、どうやら瓜田吉寿には弟がいたらしい。10代の頃か兄弟は別々に暮らしていたみたいね。その理由は吉寿の家庭事情のせい。悲しい話だけど、吉寿だけ連れて母親が出て行ったらしい。弟からしたら寂しかっただろうね。。。
吉寿と母親が家を出てから時が経ち、兄の噂を聞いた弟は、バイクに乗り新宿に向かった。その最中に事故で亡くなるという悲惨な結末を迎えることになってしまったの。兄がブラックエンペラーに入ってなかったら、弟は亡くなってないだろうね。。。
まとめ。
今回は瓜田吉寿の現在について話した。現在はヤクザを引退して暮らしているらしい。それは息子の純士が語っていたから間違いない。因みに、純士がヤクザとして活動してる時も吉寿はヤクザであり、しかも対立する組織に所属していたらしい。
にもかかわらず、二人で盃を交わした時にしのぎの話をしているような親子だからぶっ飛んでるよね。笑
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